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vol. 1-1

黒歴史はあってもいい

ぼくが精神科医になろうと思ったのは、今思うと、中学1年生の時の体験が大きかったかもしれません。その頃、いじめにあっていて、クラスの中で孤立していました。当時はスクールカウンセラーというものもなく、「不登校」もできず(親が許してくれず選択肢にもあがらなかった)、仕方なくイヤイヤ登校するしかありませんでした。当然、休み時間は話す友達もいなければ、学校なので気晴らしというわけにもいきません。仕方なく勉強をして時間をつぶしていたら成績が大幅に上がり、結果的にはそれが「やればできる」という成功体験になりました。また、周囲の目も変わり、気がつけばいじめも終わっていたように思います。

「いじめられた体験」を通して心理学に興味を持つようになったのが、ぼくが精神科医を志した原体験になっているのかもしれません。

 

黒歴史が役に立ったいい例です。

 

ではなぜ心理士をめざさなかったのかというと、ぼくの父親が外科医をしていたので、医療の世界がすごく身近な環境で育ったというのが大きいと思います。小学生の時に遊びに行く先も、なぜか父の勤務していた病院とか。ではなぜ外科医にならなかったのかというと、正直、医学部生の時は外科にも惹かれた部分はありましたが、外科の先生たちの体育会っぽい「ノリ」が何となく合わなくて、ついていける自信がなかったんです。

そういうこともあって、心理学と近い領域である精神科を選ぶことになりました。
大学院時代は15歳以上が集まるデイケアや都立高校の専門医派遣事業に携わるように。その目的は「精神病の予防」でありながら、すでに重度の発達障がいを抱えた生徒さんが多いことに気づきました。

もっと早い年齢から関わった方が、より多くの子どもたちが、社会から疎遠になることなく、健康的に成長できるのではないか。

中学校ではどのように学校生活を送っていたのか?

幼少期はどのように育ってきたのか?

と若年層のケアに興味が移り、児童精神科医という仕事にたどり着きました。

 

児童精神科医の仕事の魅力は、若い患者さんが居て、元気になったら社会に戻っていく姿を見られるところ。社会的な観点からも生産年齢人口を増やせる、ということに社会的意義も感じています。

一方で社会に出ることだけが全てなのかな?と感じる自分もいて。ですので、今はただ社会に送り出すということだけでなく、関わった子どもたちが、自分自身にちゃんと満足できて、かつその人らしい生き方ができるようになるにはどう支援したらいいか、ということに一番の興味と関心があります。

実際に教育現場で求められることも、病気であるかないかという診断よりも、発達障害を抱える生徒さんの授業態度や不適切行動、対人関係など発達問題の評価と対応です。精神病の予防に大切な早期発見と早期支援。

これは、Welcome to talkの理念に通ずるところがあり、専門家スタッフとして参画することになった理由です。

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好きな言葉・格言

「大事なことって面倒くさい」

NHKの番組『プロフェッショナル』でアニメ界の巨匠・宮崎駿さんが話されていたこと。こころの病は出口が見えず長期戦になることも多い。この言葉から、改めて、プロの専門家として一つひとつ丁寧にやり遂げることの大切さを学び、大きな励みにもなっています。
巨匠でも「面倒くさい」ってTVで言うんだな、というのも心の支えになりました。

<この記事を書いた人>

Takeshi Kiyoaki
児童精神科医・精神科医
武士 清昭
Takeshi Kiyoaki
略 歴
東京都出身。東邦大学医学部卒業後、同大学医学部精神神経医学講座に入局。2年間の研修医生活を経て大学院入学。大学院にて研究のかたわら、精神病の予防や回復のデイケア、思春期臨床に携わる。その経験から都立高校の専門医派遣事業に関わり、学校保健の実績を積む。以来、一般精神科臨床と同時に、児童精神科医として10年を超える思春期臨床のキャリアを持つ。
専門分野
精神科リハビリテーション
社会精神医学
児童精神思春期青年期精神医学
趣 味
アニメやゲームなどサブカル/バンド活動(ベース担当)
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