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こころの専門家リレーメッセージ
精神科看護と心理支援
公認心理師・看護師
千野 由里子
看護師として30年のキャリアを経て、大学病院の精神科病棟の配属を転機に、公認心理師の資格を取得しました。
もともと看護師をめざすようになったのは、高校1年次の膝のケガによる入院がきっかけ。地元新潟の雪国ではスキー授業があり、滑り慣れたゲレンデでしたが、その日は段差に足を取られてしまい、手術入院することになりました。
手術を終えて数日後のこと。
まだ傷が痛くて松葉杖にも慣れず、家族は自営業で忙しく会いにきてくれない…。今みたいに携帯もなく気軽に電話することさえできない…。ツライ状況を誰もわかってくれない…。悲しくて夜泣いていたとき、ずっと話を聞いてくれたのが看護師さんでした。
地元の看護学校を受験しましたが、高校3年次にも再手術することになり、松葉杖だった私は運動機能検査で不合格に。「受け直すのだったら大学や短大で看護師をめざせば?」というアドバイスをくれたのも当時お世話になっていた看護師さんでした。どうせなら東京の大学をめざそうと上京することを決意。どん底のときに支えてくれたのも、道を拓くヒントをくれたのも看護師さんの存在でした。
東京にある大学のなかでも東邦大学医療短期大学を志願したのは、当時大好きだったアニメ『キャプテン翼』の主人公のライバル・日向小次郎が“東邦”学園出身だったから(笑。学校名に馴染みがあったという高校生らしい単純な理由でした。
短大卒業後、東邦大学医学部付属大森病院(現東邦大学医療センター大森病院)に看護師として入職。総合内科・総合外科・救急外来・呼吸器センター・産婦人科・整形外科・血液腫瘍科・神経内科・眼科・小児科・東洋医学科・統合診療科など、院内のあらゆる科を経て、身体に関する一連の看護ケアの知識と経験を積んでいきました。
大学病院は急性期医療や最先端研究がメインですが、幼少期は、豪雪で道が閉鎖されるような新潟県内でも特に田舎のエリアで育ったことから、いつか、そうした田舎の小さな診療所でおじいちゃんやおばあちゃん世代を支えたいという夢がありました。
精神科配属となったのは、大学病院キャリア最後の5年間。実は、その異動前は、夢であった地域看護をやりたいと考えていた頃でした。精神科のキャリアを積めば、地域に出ても、ほとんどの診療科で臨機応変に対処できるのではないかという思いから精神科へ異動。心理支援に興味を抱く大きな転機となりました。
実際、精神科看護は新しい知見が多く、学ぶことがたくさんありました。
今まで看護師として患者さんとコミュニケーションを取り、ある程度の関係性を築くことはできていていました。
でも、悩みの深いところまで掘り下げて一緒に悩めていたのか?
人として向き合えていたのか?
これまでの、自分自身の看護ケアを振り返るように。
できていたと思っていた自分を、おこがましいと感じるようになりました。
そんななかで精神疾患を抱える方がご自宅で安心して生活できるようなお手伝いがしたいという思いが強くなり、精神科専門の訪問ステーションに転職。現在は、疾患も年齢もさまざまなご家庭を訪問し、その人らしく生きていけるよう、困りごとの解決に向けてサポートしています。
「人生だいたい何とかなる」 「ありがとうは惜しみなく」
嫌なことや困ったこと、悔しいことが起こっても、ときに、それが人生を左右するような大きな出来事であっても、だいたい何とかなると思っています。点と点が結ばれて線になるように、「良くなりたい」「こうなりたい」と思う自分の気持ちだったり、それに気づいてくれた人との出会いだったり、いろんなものが関わりあい支えられていくもの。そしてそれをつなげてくれるのは感謝の気持ちなのかなと感じています。<この記事を書いた人>
児童思春期・青年期
月に1度のプロレス観戦は欠かせません。力と力のぶつかり合いのなかにも心理戦があり、痛みや苦しみを乗り越え、打ち勝つロマンを感じます。アニメ・マンガやゲームは子どものころから大好きで、今も週刊少年ジャンプを購読しています。