BLOG
こころの専門家リレーメッセージ
出会いが変化のきっかけに
臨床心理士・公認心理師
菊間 慎太郎

人生が大きく動きだしたのは20歳の誕生日。
生まれ育った地域は工場や倉庫が広がる工場地帯。勉強に重きを置かない家庭で育ち、高校卒業後は大学進学せずに専門学校に行くか就職することがポピュラーな文化圏でした。私も例に漏れず、高校卒業後はフリーターとしてしばらく工場に勤務していました。深夜3時に仕事を終え、朝方に寝て18時から出勤し、コンビニ用のサラダを詰め、出荷を繰り返す日々。前向きな気持ちが削がれていくような毎日を送っていました。
そうして迎えた20歳の誕生日。「人生詰んでるな…」という絶望感でその先に展望が見出せず、仕事を辞めました。
とはいえ、次の目標があるわけでもなくブラブラとしていた頃、たまたま中学時代の友人と再会。彼もシビアな家庭環境で進学の機会がなく、働きながら国立大学をめざして受験勉強をしていました。
孤独に闘っていたので、彼も仲間がほしかったのかもしれません。「この先どうしていいのかわからない」と話す私に「わからないところは教えるから一緒に大学行こうよ」と誘ってくれました。
それから約1年半の受験生活を経て、大学に入学することができました。その友人が哲学に興味があったことに影響を受けたこと、また「なぜこんなに自分は苦労したのだろう」「人間をもっと知りたい」という思いから専攻は哲学を選びました。
しかし、入学後、自分が求めていた学問とは違うなという感覚があり、なんとなく無為の日々を過ごしていた大学2年次の夏休み。学内で開催されていた「エンカウンター・グループ」に参加しました。
エンカウンター・グループとは、心理療法のひとつで、与えられたテーマに対してグループで話し合いながら、防衛的な部分を取り払い自分自身が率直に感じることを素直に話し合えるような雰囲気をつくっていくもの。その体験を共有し、互いの成長を促していくグループ活動です。レクリエーション的な楽しさもあり、深い感銘を受けました。
このグループの背景になっている学問であった心理学に興味を持つように。しかし、学内に心理学部がなかったため、そのまま哲学科を卒業し、建築系企業に就職しました。数年後に業界を揺るがす耐震偽造事件が起こり、続くリーマン・ショック、東日本大震災のあおりを受け、会社解散により失職することになりました。
そこで、関心を持っていながらも勉強できなかった心理学を学ぶチャンスと捉え、臨床心理学の大学院に進学し、現在に至ります。
20歳のあの頃、友人との出会いがなければ今の自分はいません。心理士という仕事に就いたのも、人との関わりで人生が変わることを体感しているからです。
絶望に苛まれたときは特に相当なエネルギーが必要であり、安心して前に進む原動力も人であると感じています。サポートしてくれた友人もそれを無意識に感じていたのかもしれません。彼はその後、志望の大学に合格し、現在は教育関係の仕事をしています。
こうした実体験から、カウンセリングを出会いと捉え、一緒に「伴走する」思いで子どもたちと向き合っています。
「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」
どうしても人間は短期的な視点で物事を捉えがちですが、人生は長く、長期的・俯瞰的な視点で捉えることが重要だと考えています。目先の失敗や成功に一喜一憂せずに長い目で見ることが大切です。かくいう私も揺れやすいタイプですが、心理士として児童生徒のこころの状態の良し悪しをプロセスのひとつと捉えるようこころがけています。<この記事を書いた人>

ユング心理学
ロゴセラピー
映画レビューサイトに500以上のレビューを投稿しています。特に好きなのは、アカデミー国際長編映画賞『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督の作品。人が変容していくさまが丁寧に描かれ、セラピーのプロセスに近いものを感じています。