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vol.24-2

適材適所を意識する

医学部時代は、大学のある岡山県倉敷市で6年間を過ごしました。とても暮らしやすい街でしたが、一度くらい都市部に住んでみたいと卒業後は上京と決めていました。
 
初期臨床研修として東邦大学を選んだ理由は、都内では数少ない精神科の閉鎖病棟をもつ大学病院であったこと。将来は精神科医と決めていた私にとってはそれがとても魅力的でした。また、精神科医療のなかでも特に思春期、青年期の精神疾患の予防や早期介入に重点的に取り組んでいる点にも惹かれていました。
 
東邦大学医療センター大森病院には、病院の最上階に見晴らしの良い場所に、研修医1年目と2年目のみが集まれる場所があり、休み時間にそこに行けば同期や先輩と情報交換ができる憩いの場でした。私立医大生の独特の穏やかな雰囲気のある同期と、互いにサポートし合う和気あいあいとした環境であり、しんどい時でも孤独を感じる瞬間がなかったことが研修医生活の大きな支えとなっていました。
 
研修医2年間のうち1年目は、小児科、産婦人科、麻酔科、救命センター、総合外科、内科などの必修科で拘束されます。自由にまわれるようになる2年目は、2か月間を精神科、1か月心療内科に加え、親が内科医であったことからこの機会にと内科も選びました。
 
はじめての経験が多い研修生活のなかでは、自分で解決したいけれど、できないことと遭遇する場面が多くあります。夜間当直担当の日、休憩をとっている先生を起こしたら悪いと思いつつ、少しでも疑問や不安に思ったことは、恥を捨て、聞くように心がけていました。
 
医者も年次が上がるとなかなか周りに質問することが難しくなりますが、わからないことは今でも意識して聞くようにしています。
 
救命救急の現場では迅速な判断と対応が求められます。救命センターでの研修の時、プレッシャーに弱い私は急かされると頭が真っ白になって動けず固まってしまったり、慌てすぎて医療器具の扱いが雑になり怒鳴られるようなこともありました。

でも、環境が変われば適材適所。同じ自分でも褒められることがあります。

各科の研修期間は長くても2か月経てば終わりがくる。期限があるから大変な環境でも乗り越えられました。逆に、終わりが見えないツラさは人間にとってとてもしんどいものです。そこから逃げることも選択肢にあっていい。ずっと苦しい状況続きそうだったら、環境を変える行動を起こして安心感を持つことの方が大事。
 
こうした研修医時代の経験から、思い悩んで動けない患者さんに対して「逃げる」「環境を変える」ことを提案することもあります。
 
2年間の研修医生活を経てそのまま東邦大学の精神神経医学講座に入局しました。最終的に入局を決めたのは、そこで出会った精神科医局の先輩たちの人柄に惹かれたこと、優しい同期に恵まれたことが大きかったと思います。
 
私も臨床現場で走り出してから年月が経ちましたが、精神科医をめざしたときの気持ちを忘れず、患者さんの役に立ちたいと考えています。

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コミュニケーションのワンポイント

「ごめん…」より「ありがとう!」を

寮生活だった医学部時代に友人に言われた言葉です。自信のなさから、ほんのちょっとしたことで不安になり、つい反射的に「ごめん」と謝ってしまってしまうことが多かったようです。そんな私に対して、心優しい友だちが「こういうときは『ごめん』より『ありがとう』の方が嬉しいよ」と言ってくれました。今も意識して感謝の気持ちを伝えるようにしています。

<この記事を書いた人>

Kado Tomoyo
精神科医
角 朋世
Kado Tomoyo
略 歴
広島県出身。瀬戸内海の島で開業医を営む両親の背中を見て育ち「人のこころに関わりたい」と精神科医を志す。川崎医科大学医学部を卒業後、上京。東邦大学医療センター大森病院での研修医を経て、同大学医学部精神神経医学講座に入局。現在は大学病院や精神科病院にて精神科外来や病棟での診療業務を中心に、保健所での相談業務、産業医、都立高校の学校医に携わる。思春期から成人期、老年期にいたるまで、あらゆる年齢層の診療にあたる。
専門分野
精神医学一般
趣 味
ダンス/音楽(ヒップホップ系) /マンガ

3歳からクラシックバレエを始め、中高はストリートダンスにハマり、大学ではダンスサークルに所属していました。今はダンスを“観る”方が多くなりましたが、音楽を聴きながら身体を動かすことは大好き。マンガは電子書籍でいろんなジャンルを楽しんでいます。
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